お手紙 前回は、「インストデュオ」というテーマでアルバムを紹介していただきましたが、今回は…?
影山 梅雨の季節ということで、「雨に似合う音楽」というテーマでご紹介したいと思います。
お手紙 ということで、tico moonのmusic gardener第2回は、快晴の砧公園からお届けします(笑)。
影山 雨の日の音楽って、雨にまつわる曲だったり、雨の日に聴きたい曲だったり、声だったり。そんな曲を、僕が5曲と、友加さんが1枚選ばせてもらいました。さっそく1曲目からいきましょうか。
お手紙 はい、お願いします!
影山 1曲目は「Sugar Babe」の「SONGS」というアルバムの中から、「雨は手のひらにいっぱい」という曲を選ばせてもらいました。
お手紙 Sugar Babe!
影山 Sugar Babeというバンド、日本の音楽史の中ですごく重要なバンドなんですけれども、山下達郎さんと大貫妙子さんがこのバンドでデビューしたんですよね。で、アルバム一枚しか出していないんです。このアルバムが発売されたのが1975年で、「はっぴいえんど」以降のPOPSと言いますか…。昔、四谷に「ディスクチャート」という音楽喫茶がありまして、そこで大貫妙子さんが夜な夜なデモテープを作っていたらしいんですね。そこに山下達郎さんが合流して、一緒に作ったバンドがSugar Babe。その前に山下達郎さんが自主制作でアルバムを一枚作っていたらしいんですね。Beach boysの曲などを演奏して。そのアルバムが紆余曲折を経て、大瀧詠一さんの手に渡るんです。それを聴いた大瀧さんが「これはすごい!」と。そこから大瀧詠一さんと山下達郎さんの親交が始まったんですね。
お手紙 へー。

影山 大瀧さんが、はっぴいえんどを解散してから作った「ナイアガラレコード」というレーベルの第一弾契約ということで、大瀧さんのプロデュースでSugar Babeがデビューしたんです。でもこれを配給していたレコード会社が、このアルバムを出したすぐ後に経営が厳しくなって。で、このレコードはなかなか手に入りにくくなって。
お手紙 そんな歴史があるんですね。
影山 このアルバムを聴くと、今の達郎さんと全然変わらないですよね。
お手紙 かっこいいです!
影山 今聴いてもそう思うということは、当時はかなり進んでいたんですよ。あまりにも洗練されすぎていて、歌詞もとても印象的だし。インタビューなどを読むと、当時は相手にされなくって、あまり売れなかったと。
お手紙 そうなんですか!
影山 音楽好きの間ではバイブルのようだったと思うんですよね。やはりその前にはっぴいえんどがいますから、その流れで聴いている人もいると思うんですけど。このアルバム、大瀧さんがプロデュースということになっているんですが、実質的には達郎さんなんですよね。ほぼ全面的にアレンジも達郎さんなんですが、この曲「雨は手のひらにいっぱい」だけは大瀧さんの手が入っているんです。最初はちょっと違うアレンジだったらしいのですが、大瀧さんがフィル・スペクター風のアレンジを施したり、それがまたこの曲に輝きを与えていると思います。この曲を聴くとやっぱり雨を思い出すんですよね。
お手紙 曲の長さとしては短いですよね。
影山 そうなんですよ、この短い中で表現しているんですよ。キーはメジャーで明るい感じがするのに、サビのコードとメロディはとても切ない…。
お手紙 うーん、いま聴いても新しい…。
影山 達郎さんはこの頃、まだ曲を作り始めたばっかりだったらしいです。多分達郎さんが20代初めの頃だと思います。この頃から、このコーラス、歌のうまさ!。まさに達郎さんは日本のPOPSのマエストロという気がしますね。大貫妙子さんが作った曲も、このアルバムの中に入っています。大貫さんの歌も素晴らしい。
お手紙 末恐ろしい…と今言うのもおかしいですが(笑)。
影山 このアルバムは手に入りにくかったのですが、CD化されて、最近またリマスターされたんです。30年経っても残っていく名盤です。
お手紙 確かに。

影山 山下達郎さんは毎週日曜日にラジオの番組を持っていて(TOKYO FM 「山下達郎のサンデー・ソングブック」)、しゃべるのも巧いんですよね。
友加 ラジオを聴いていると落語家さんみたいなんです。滑舌がよくて面白くて。
影山 50、60、70年代のPOPSをかけるんですけど、その選曲がまた良くて。当時聴いていた音楽の趣味でも大瀧詠一さんとすぐ意気投合したらしいですね。今でも達郎さんのラジオ番組に時々大瀧詠一さんがゲストで登場して。ふたりで話していると、まるで落語家ふたりで話しているみたいなんですよ! ふたりとも落語が好きなんですよね。
お手紙 このアルバムが出た時、日本の音楽シーンはどうだったんですか?
影山 はっぴいえんどが解散して、ちょうどフォークブームの頃ですよね。はっぴいえんどから始まった日本語のロックと、あと内田裕也さんの「フラワー・トラベリング・バンド」とか「ブルース・クリエイション」なんかの英語をのせたロックがあって、論争していたらしいですよ。やっぱりロックは英語じゃなきゃだめなのか、日本語でもいいのかと。そんな論争をしている間にフォークが来ちゃったんですよね、吉田拓郎さんとか、井上陽水さんとか。同時期に、純粋に音楽に焦点を絞ったPOPSというか、ユーミンさんとかも出てくるんですよね。
お手紙 このCDはいつ買われたのですか?
影山 これはリマスターされてからですね。10数年前のものですね。アナログ盤は、昔はとても高かったんですよ、数万円とか。
お手紙 そんなに音楽に詳しくなくても、とても聴きやすいです。
影山 そうですね。情景が浮かぶような素敵なメロディと歌詞ですね。
お手紙 他の曲も素晴らしいですよね。
影山 EPOさんがカヴァーして、ひょうきん族のエンディングになった「ダウンタウン」とか。
お手紙 あのー、大瀧詠一さんってやっぱりすごい人なんですか?(笑)
影山 大瀧詠一さんは、はっぴいえんどでデビューしたんですけど、大瀧詠一さんと細野晴臣さんが出会って、何ていうんですかね〜、楽器を弾きたい、ロックをやりたい!って人じゃなくて、ものすごく音楽が好きだという人たちが集まっているバンドで。最初は、バッファロー・スプリングフィールドというアメリカのバンドとか、モビー・グレイプとかを目指して、それをいかに日本語にしていくかっていうところを研究して。“研究”という感じだったんですよね。楽器の練習というよりは、音楽を聴いて話し合うという感じだったらしいです。「詞はこういう感じがいい」とか。そこに松本隆さんが加わって、鈴木茂さんという天才ギタリストが加わって。そこに大瀧詠一さんと細野晴臣さんの曲、ポール・マッカートニーとジョン・レノンみたいなもんですよね。そして鈴木茂さんがジョージ・ハリスンかな、言ってみればね。そういうことを日本で初めてした人たちですよね。そして大瀧詠一さんはナイアガラレコードを作って、自分の求めているものを自分のレーベルでやることにして、スタジオも作って、自分で録音もして。録音する時は別の名前を使って、アレンジャーする時も別名を使って、全部別名でクレジットしていて、そういうことしたのもこの人が初めてだと思うんですね。
一同 へええ〜〜〜
影山 レコーディングエンジニアとしては笛吹童子、アレンジャーとしては多羅尾坂内という名前を使っているんです。自分の好きなことをどんどんやって。そういうことをしていた人は本当に少なくて。はっぴいえんどというのは、本当にパイオニアですね。細野晴臣さんも解散後はティン・パン・アレイという音楽集団を作って、自分たちの曲を演奏するのはもちろん、他のアーティストのバックでも演奏して、プロデュースもするという…。今ではそういうことをする人たちもたくさんいるのですが、当時はいなかったですからね。90年代になって彼らを追いかけるバンドが増えたんですよね。
お手紙 例えば?
影山 例えばサニーデイ・サービスとか小沢健二さんとか。キリンジなんかもそうかもしれないですね。今も変わってないのかもしれませんね、いい音楽を作る姿勢みたいなものはね。
お手紙 ふーん。
影山 昔は、大瀧詠一さんのアルバムが再発売されてない時は、本当に高かったんですよ、3万円とかしましたからね。レコード屋の壁にかかっていてね。「壁レコ」っていうんですけど(笑)。ナイアガラレーベルのレコードは本当になかったみたいで、CDになった時、一気に買いましたよ。
お手紙 なるほど。Sugar Babeが山下達郎さんのバンドということは知っていましたが、そこまで大瀧詠一さんが関係していたとは! しかし本当にいい曲ですね。雨らしい、しっとりした曲もいいですけど、こういうカラッとした感じの雨の曲っていうのもいいですよね。
影山 おすすめです!

